そこに行かなければわからないもの。その立場にならないとわからないこと。
60年の時を越え不器用な女同士が通じ合ってしまった潤とカヤ。二人が見るものは何か期待をさせてくれる「夏のあらし!」第7話。
女としての自分を嫌い、延長として男装を通す潤のトラウマの理由は詳しく明かされていないが、姉の名が出てきたから、姉に原因があったのか、それとも時間をかけて醸成されたものなのか。
モデル仲間3人の「いかにも」女のスタイルに距離感を置く潤だが、意識せずに女性として振舞う3人の方が一般的だろう。潤のジェンダーの問題は掘り下げるのか、それともカヤの古風な女性の振る舞いに感化され自然と解消されて行くのかわからぬが、他の登場人物との接し方は影響されるだろう。







風見鶏が壊れた屋根に潤を付き合わせる一は「男の役目」を強調する立場だが、いかにも固定概念を背負った男子中学生。ただ、その単純さが頼もしく見えることもある。屋根の上の修理にしても、昭和20年に迷いなく飛ぶことも。
風見鶏の修理で登った屋根からは、遠く海までの眺望。男女の違いよりも、潤にとっては「その場所に立たないと見ることが出来ないもの」を教えられたことになる。そして「いま言えることを、いま言わないのは意味がない」ことも。
自分が女であることを潤がカヤ以外に告げる時がやがて訪れるのだろうが、今はお休み。






横浜大空襲で死んだカヤの「身体に意味なんてないのよ」との言葉は潤にどのように響いただろうか。かつてのマスターが好きだと言う気持ちを60年間押し殺してきたカヤに対し、潤の真直ぐな気持ちは「いま言えることを、いま言わないでどうするの」と一の言葉を受けて、バトンのようにつながって行く。
あらしたちの戦争を背負った世代の重い話がベースにあるけれども、個の抱える問題に置き換えてみた時のペーソスあふれる筆致は気に入っている。
「女」を強調した今話、グラサンもその役回りに参加させられている。やよゐと加奈子から仕事を受けたのか他に理由があるのか、イセザキモールのランジェリーショップへお使い。ランジェリーとあの体躯のコントラストがおかしいが、グラサンのぎこちない振舞いは自然だ。あの顔でランジェリーショップで手馴れた買い物をしていても悪くはないけど。
ディスプレイのランジェリーの向こう側も透過して書き込まれている、細かい仕事振り。
脚本は前話に続き赤尾でこ(三重野瞳)。絵コンテは島津裕行、演出に大沼心、作監は伊藤良明・大森英敏。

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