「東のエデン」テレビ編の最終話、第11話。最後でも新たな伏線をばら撒いて映画編2本へつながる。
テレビシリーズは滝沢の記憶探しの旅に沿って、このバカバカしいゲームをいかに近現代の日本社会を包む空気に同化させ違和感なく見せるかに費やされたようだ。セレソンたちの繰り広げるゲームの果てに滝沢が自ら記憶を失い、再び記憶を取り戻しミサイル攻撃に立ち向かう、ループエンドと「俺たちの戦いはこれからだ」エンドの合体技だった。
滝沢の観察者として咲とエデンメンバーを置いた構成だが、咲を巡ってのライバルだと自認している大杉が敵対的な視点で滝沢を批評してくれる、実に嫌な役割ながらも良いキャラ立ちをしていた。
メインヒロインとしての咲は、最後の最後で「守りたい人」の位置づけで滝沢を再びの絶望から救った形にはなったが、主体性に乏しかった。女性視聴者の多い枠だから、王子様に救われた夢も取り得もない少女の位置に置くことは間違いではないのだが、彼女でなくてはならない役回りでもなかった。
最もヒロインらしく人間らしいキャラクターは、皮肉なことだがジュイスだ。







前回のミサイル事件「迂闊な月曜日」の人的被害を阻止するため、ニート2万人を動員した滝沢に、住人の不満とネットやニュースでの非難が集まる。恨まれた結果の滝沢の逃避行動が記憶消去。
60発のミサイルを迎えるに当たり、悪役の顔のままニートたちの前に現れた滝沢の行動は、ミサイル回避方法を東のエデンサイトに書き込ませること。ネットとケータイ必須の若者たちの特徴を捉えているが、外は雪の降る夜に、服よりもケータイとは考えにくい。
全裸の男集団に尺を取るよりは、サイトの書き込みの結果とジュイスの判断、迎撃に至るまでのプロセスをていねいに描いてほしい。パトリオットのプログラム書き換えのニュースの伏線も結びつかない。
最後に豊洲に向かったミサイルのシーンは「明日に向って撃て!」を模したのだろうか。
60発撃墜後に残金全てで「この国の王様」の地位をリクエストして、ジュイスが受理。滝沢に何かを伝えたようだが、その後ジュイスは沈黙。
これで上がりなのか、辻が結城に言ったようにサポーターは物部なのか、ジュイスを隠したNo.12は何者かなどセレソンたちのゲームの終わりは見えない。
映画のプロモーションフィルムとしては上出来だが、消化不良のままで続きは劇場で。Part1は「The King of Eden」、Part2が「Paradise Lost」の2本。同時公開かわからないので、
東のエデン公式サイトへ。
ユナイテッド・シネマ豊洲
で見るのが正統派ファンなのだろう。



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